無作

無作であるということ、それは観劇をする機会があり、現実面でも少し理解出来た。

これは古くから伝えられている境涯のこと。


観劇する時、人物を見ただけで涙が溢れてくる。

声の聞き始めから涙が出る、また出会いの瞬間に願望の涙が出る。

共鳴の涙もある。

落涙しようとして落涙するのではなく、その境遇、その出会い、その関わり、その変化、

その仲間、その振る舞い、その痛み、その喜び、その労わり、その姿を見聞きすることで生じる涙。


それは涙の昇華。

何度も何度も繰り返し観劇し、所々、場面場面で涙する情景の積み重ねがあり、昇華に至る。

この時その対象の方は無作。

観ている方は涙の昇華はあれども、無作の劇の中の虜となる。

以降は、劇のみならず、現実生活の中でも無作の振る舞い、無作の人、出来事等、自分で考えるより前に感動、歓喜し、胸はいつも脈動し、変化に感涙または心(胸)を痛めるようになる。


人を尊ばない無念な事件が起きる中、人に対する見方が違ってくる。

人の中に尊ぶものが見えてくる・・・。

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